「言葉」の根源的な力――言壺
今回紹介する本は「言壺」という日本のSF短編小説です。
短編集といっても、全く独立した短編集ではなく、キーワード的なものは繋がっています。
「言葉」もそうですが、例えば「ワーカム」と言った文章を「校正」する機械も繋がったもの、テーマになっています。
本作の中でも、1つめの短編の「綺文」について紹介したいと思います。
物語は、何としてもワーカムに入力させたい以下の言葉から始まります。
「私を生んだのは姉だった。姉は私をかわいがってくれた。姉にとって私は大切な息子であり、ただ一人の弟だった」
何か読解力のテストのようですが、意味はそう難しくはありません。
子供を産んだものの、何らかの事情でそれを息子とは呼べず、歳も近いので弟とした、ということです。
余談①:若干ネタバレの余談ですが、この一文を読んだときに、NHKで昔放送していたBBC製作のドクター・フーを思い出しました。
(何話目かで似たようなシチュエーションのオチになる回があった筈)
さて、最終的に「ある文」で、ワーカムに入力出来るようになるのですが、同時に主人公を含めた世界の言語認識が一部、おかしくなってしまいます。
1984という小説では、ニュースピークという新しい言語の登場で、思想を統制したように、この世界ではニューラルネットワークに繋がった、ワーカムによって人々が支配されてしまっている構図が覗えます。
その他の短編もそうですが、言葉の持つ力、神秘性というものを感じることができ、かなり新鮮に読み進めることができました。。
余談②:また余談ですが、「閉じこもるインターネット」という本でも紹介されていましたが、Googleの検索結果もアルゴリズムによりカスタマイズされており、人によって表示結果が異なっていたりするそうです(※1)。
アルゴリズムがそれを決定づけているのでしょうけれども、そうやって変更を意識させずに、人々の意識、考えを変えるなんてのは、案外容易なのかもしれないな、と思えました。
※1:ちなみに、例として「BP」という企業があげられていたので、異なるブラウザやログインの有無で試してみましたが、表示結果に差異はありませんでした。(恐らくアルゴリズムが変更されたか、IPアドレスで個々人を見るようになっているのか、それすらも見透かされているのか……)